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中地区“今昔物語”
「昔、馬糞ころがる白山界隈
今は業界激戦区」

中地区 原 晏孝

街かど情報−文京なでしこ班
脇坂不動産共報会
脇坂 美千穂
私の町「千駄木」

私の回顧録 第3回
── 宅建業界の生い立ちを顧みる
行政改革と中曽根康弘先生について
顧問・名誉理事、元支部長
藤田精一郎

エッセイ
後藤 晃
「ガラクタ箱」

エッセイ
小林 修
「老麗化(ろうれいか)時代」

地区報告 中地区“今昔物語”

昔、馬糞ころがる白山界隈
今は業界激戦区

原 晏孝(中地区)保商事株式会社

 中地区は、ほぼ文京区の中心で、駅としては三田線の春日、白山、南北線東大前、本郷3丁目が最寄りの駅となっており、地形としては山と谷がはっきりしており、歴史的には住宅地の一部で、関東大震災や大東亜戦争の被害を免れた所も点在しております。もっとも、昨今では皆、建て直して新しくなっております。
 私の子供の頃、白山にはかなりの花柳界があり、立派な見番もあり、昼間から銭湯へ行く芸者さんの姿をよく見たものでしたが、今は路地の石畳が、その風情を残しているだけで、すっかり様変わりをしてしまいました。
 私は誠之小学校に上がるため、信州の山奥から60年以上前に白山に住みついたのですが、隣の家が運送業をやっていて、馬2頭飼っていまして、自動車でなく馬に荷車を引かせている運送業でした。したがって、我が家の前の道路はいつも馬糞がある状態でした。
 戦後間もなくのことなので、白山から水道橋のJRのガードがよく見えました。ほとんど幹線道路が焼けてしまって、建物がない状態だったんですが、今では高いビルが林立して、当然、見ることはできません。
 不動産業界に関して言いますと、中地区は白山が中心になっている関係で、不動産業者も集中しております。文京区内でも屈指の激戦区になっているのが現状です。
 直近のことですが、都営三田線白山駅の改札口を入ったところの構内で、新しい不動産業者の開店がございました。このことには非常に驚いているんですが、まず、私鉄の駅構内で営業するならまだしも、都営三田線という公の施設で商売をされたら、その駅の周辺の業者は影響を受けることは明らかです。
 このようなことが放置され、他の駅まで広がりを見せれば、町の不動産業者は死活問題になると思いまが、皆様、どう考えますか?


街かど情報 文京なでしこ班

私の町「千駄木」

脇坂 美千穂(東地区)脇坂不動産共報会

脇坂不動産共報会 店舗
 私が幼児の頃から見てきたこの町、千駄木を紹介させていただきます。
 私は、母方の菩提寺が谷中の宋林寺なので、幼児の頃から祖母に連れられて毎月、祥月命日にお墓参りに来ておりました。
 私の母は神田生まれ、神田育ちの女7人姉妹なので、いつも祖母の悩みは、お墓守のことでした。そんなことは余よそ所に、お菓子につられ毎月お墓りに行くときは、神田から都電に揺られ、団子坂停留所で降りると、近くに菊見せんべい屋さん、大島そば屋さんがあり、民家の間を通り抜けながらお墓に参っておりました。
 その頃は、私が団子坂に嫁に来るとは思ってもみませんでしたが、これもご先祖さまの導きなのでしょうか、早いもので31年前に団子坂交差点前の脇坂家に嫁ぐことになりました。  私が嫁に来たときは、主人と私の2人で祖父の後を継ぎ不動産業を始めましたが、3帖、4.5帖の共同トイレ、共同炊事場という、木造の1万6,000円〜 2万円の物件が、まだまだ残る町でしたが、今では大通りにはマンションが建ち並び、人々の生活もずいぶん豊かになり、町も近代化して様変わりしてしまいましたが、この町の人々は人情深く、お年寄りから子供まで町ぐるみでかかわり、助け合える、とても住みやすい町のままです。
 人は豊かな生活、便利なところを目指し、町はきれいになっていきますが、どこか町の片隅の古い建物や昔ながらの商店街を見ると、心が和むのか、お年寄りや若者、そして外国の人たちまでも、わが町、千駄木を目指して訪れる今日この頃です。
 私たちが何か忘れてしまった、心の空間をこの町は癒し、思い出させてくれるのでしょう。
 私は、私の祖先、そして主人の育った町、千駄木が大好きです。いつまでもこの町が変わらない、暮らしやすい町になるように、業界の方や町会の方々と協力して、明るい町づくりをしていきたいと思っております。
団子坂下の交差点 谷中の宋林寺
東地区 脇坂不動産共報会
東京都文京区千駄木2-32-5
TEL: 03-3822-3221

私の回顧録 第3回── 宅建業界の生い立ちを顧みる

行政改革と中曽根康弘先生について

顧問・名誉理事、元支部長 藤田精一郎

 私は東政連会長と兼任で、会が所属する東京都各種団体協議会の常任世話人の一人でもありました。同協議会は、都内の各種中小企業団体220余で組織し、代表世話人は三田政吉氏であります。
 三田氏は、社団法人東京都食品衛生協会の会長であり、団体の会長を多数兼任し、日本橋にある明治座の社長でもあります。月日は定かではありませんが、昭和57年の7月頃ではなかったかと思います。三田代表世話人より今夜7時に水天宮にある三田氏経営の料亭に緊急に集合願いたいとの伝言がありました。集まったのは、幹部団体の会長8名でした。夕刻ですので、テーブルには酒肴の用意ができておりました。
 突然そこへ現れた人物は、鈴木善幸内閣の行政管理庁長官の中曽根康弘先生でありました。テーブルを囲んでいた私ども一人一人に、お銚子の酒を注ぎ、「皆様にお願いがあります。この中曽根を男にしてください」と、深々と頭を下げられました。その時代がかったパフォーマンスにはさすがにびっくりいたしましたが、現在の状況を説明になり、第二臨調で決定の行政改革を実行に移すため、経団連の土光名誉会長をはじめ、皆様方、団体の会長の協力が絶対必要であり、東京から全国に向かって、その旨を発信していただきたいとの要請がありました。
 当時は野党、官僚、労働組合の抵抗が強く、特に日本国有鉄道の労組は、その分割民営化には絶対反対であり、勝手にストライキをやり、汽車や電車を止め、賃上げ闘争を繰り返し、親方日の丸をいいことに、27兆円の膨大な借金を垂れ流し、国家の為、子孫の為、許すことのできない所業であり、その改革については、私どもも大賛成であり、全員協力することに決定いたしました。その後、先生と各種団体との打ち合わせの結果、来る9月10日、日比谷公会堂において行政改革推進大会を開催することに決定いたしました。
 大会当日の模様の一部を略記します。

「推進大会決議」を採択
〜代表団が鈴木総理のもとへ〜  場内が大いに盛り上がったところで、老川浩正日本中小企業政治連盟幹事長が、次の「推進大会決議文」を、力を込めて読み上げ、会場は万雷の拍手でこれを採択した。
 決議文──
 政府は、第二次臨時行政調査会の基本答申を尊重し、勇断をもってこれを実行することを、東京都内200余りの中小企業団体が組織する「行政改革を推進する業種団体の会」の総意により、強く要望する。右決議する。
  昭和57年9月10日  行政改革推進大会

 続いて、次の6氏が代表団として選出され、粕谷茂衆議院議員の先導で総理官邸の鈴木総理のもとへ、決議文を直接手渡すことを決定、代表団は期待を込めた大きな拍手に送られて出発した。
 代表団──
 老川 浩正 日本中小企業政治連盟幹事長
 鈴木 芳二  東京都社交業環境衛生同業組合理事長
 天井 勝家  東京都食肉環境衛生同業組合理事長
 天野平八郎  社団法人東京工業団体連合会会長
 朝生東太郎 東京魚市場卸協同組合理事長
 藤田精一郎 東京不動産政治連盟会長
行政改革推進大会(昭和57年9月10日、日比谷公会堂)。演壇前列に着席するのは中央から土光敏夫臨時行政調査会会長、瀬島龍三同委員、中曽根行政管理庁長官 行政改革推進大会で挨拶する中曽根康弘氏(この年の11月に64歳で内閣総理大臣に就任)
鈴木善幸総理(左端)に決議文を手渡す代表団(右から3人目が筆者) 代表団を代表して鈴木総理の意向を壇上で報告する筆者
 その間、会場では臨調の瀬島龍三委員が答申に至るまでの経過報告と推進大会に対する謝辞を述べられ、中曽根康弘行管庁長官と二階堂進党幹事長が行政改革の遂行に向かってそれぞれ決意を表明した。
 これに続き鯨岡兵輔都連会長が都連所属の国会議員、都議会議員を紹介し、代表して挨拶を行った。
 そこへ官邸に向かった代表団が早くも帰着。藤田精一郎東京不動産政治連盟会長が代表して、「只今、鈴木総理は『政府・自民党は全力を挙げて行政改革を実行する』と約束されました」と報告し、会場から再び嵐のような拍手と歓声が沸き起こった。続いて、東京都商店街連合会と東京都麺類協同組合の青年部有志が壇上に勢揃いし、シュプレヒコールが始まった。
 “土光さん、ありがとう”“今こそ子孫のための行革だ、我慢だ、決意だ、実行だ”
 場内2500人が一斉に立ち上がってこれに唱和し、大会は大きな盛り上がりをみせた。
 この雰囲気をそのまま街頭行進に移し、中曽根康弘長官を先頭に、参会者全員がこれに従って有楽町・数寄屋橋公園を目指してパレードを開始した。この日は、ちょうど二百十日で激しい風雨が吹き荒れ、参加者はずぶ濡れとなったが、パレードはそれに負けじと元気いっぱいに行進した。
 数寄屋橋交差点では、通行する人々にスローガン入りの団扇やティッシュを手渡し、行革推進のアピールに努めた。“我慢だ、決意だ、実行だ”行革推進の叫びは都心をつつみ、大きな響きとなって広がっていった。
(東京都各種団体協議会『春秋三十年史』平成13年11月発行より一部抜粋)

 中曽根先生夜話──
 行政改革推進大会を契機に、全政連幹事長として、全国の不動産業界の政策等について中曽根先生に陳情する機会が多くなり、国会近くの「まんがん」や「一條」等の料亭で会合をよく持ちました。
 当時先生は中曽根派の領首であり、お酒が入ると上機嫌で、戦時中の話がよく出ました。先生は海軍主計中尉で輸送船に乗り込み、東南アジアのボルネオ島に兵員輸送の途中、敵の駆逐艦の魚雷を受け船が沈没し、海に放り出され、一昼夜木片に_まり漂流しながら、もうだめかと思っていたが、味方の巡洋艦に助けられたので、そのときのことを思えば、命には未練はないと笑って話されたのが印象的でした。
 また、冗談か本音か判りかねますが、次のようなことも話されました。
 「一般に先生方は、“物心両面で応援をお願いします”と言われますが、私は“物、物、心”でお願いしたい」と、真面目顔にて話されました。
 派閥の長ともなると、大変だなあーと思ったことでもありました。その後総理になられ、総理官邸の祝賀の宴に招待され、数人で参加いたしました。
 行政改革を推進し、国鉄の民営化をなしとげ、長期政権のうえ、講和条約締結の吉田茂先生、沖縄返還の佐藤栄作先生に続いて、大勲位菊花大綬章を受章された戦後3人目の総理となられました。誠に大慶であり、先生のご長寿をお祈りいたします。
 一将功成りて万骨枯る

エッセイ

「ガラクタ箱」

後藤 晃(西地区二班)
 人には、時たま、とりとめもない色々な思いが浮かぶものである。
 それを折り紙のように形に変えて、ガラクタ箱に放り込むことにした。

「二の腕美人」
 三省堂の大辞林によれば、二の腕とは、@肩と肘までの間の部分、A肘と手首との間の腕とある。
 いったい、こりゃなんだ! 三省堂さん、統一してくださいよ。
 私は、@の肩から肘までの間の部分と認識している。
 それにしても、色彩をつけず、描線だけで、ふっくらとした、ういういしい肌を描いた歌麿の二の腕美人は、傑作である。
 男は女性のアソコ、乳、ヒップに主に魅力を感じるのであるが、これらは神から与えられた本能である。
 アー、かたい話になってしまった。肩をもみほぐして、浮世絵美人の二の腕を眺めてみよう。
 あの肌は、男性にとっては性の対象ではない。しかしながら、道すがら、ふっくらとした、初々しい二の腕(顔はどうでもよい)美人に出合うと、陰ながら、わたくしは男性として、女性への全一性と母への回帰を込めて、そのふくよかな肌にプチュッと口付けをしたくなる。
 この感じ、女性にはわかるかな?
 ──変な話をしましたが、ガラクタですから、ご勘弁を。

「女性は眉毛の芸術家」
 我々男性は、お出かけ前に眉毛を描いてお化粧するなど、考えたこともない。それにしても女性は、いくつ位から、両親から与えられた眉毛を剃り落として、お顔に絵を描き始めるのであろうか。
 一見、一度描いた眉毛の形は一生変わらないように見える。
 いや、そうではありませんよ。年を経るにつれて、色、形を変えていますし、眉毛の流行もあるのですよ。
 行く場所に合わせて、会う人によって変えていますよ。気分によっても変わりますよ。
 いずれにせよ、女性は眉毛の芸術家である。
 ──はい、ガラクタ箱が待っています。

「飲み屋のカウンター」
 もっとよい言葉はないものですかね──。
 和風の飲み屋でカウンターなんて、お勘定場の前で飲んでるみたいですよ。
 バーのカウンターなら、横文字でもいいんですが。
 いまだ、適切な言葉がないのは、日本語の欠陥ですね。
 飲んでばかりいないで、たまにはカウンターの前で、よい言葉を思案してくださいよ!
 ──よい言葉が見つかってから。


エッセイ

「老麗化(ろうれいか)時代」

小林 修(北地区一班)

 「体重も59キロになり、毎日が快適だった」(支部報567号)と書いてから早くも4 ヶ月、今朝は10キロ増えて69キロになっていた。家内に報告すると「だめよ!」、「えっ?」、「もっと太らなくちゃ」、「だって、俺の身長から100を引いて67が標準体重だから、これでも2キロは太りすぎだぜ」、「はたから見てもまだ痩せ過ぎよ」と、まったく相手にされない。掛かりつけの医者の定期診断を受ければ、体重を下げてくださいと言われるのも時間の問題になりつつある。これ以上太ると、今年の夏から秋にかけて購入した「ユニクロ」とか「無印良品」の細身のスラッス、ジャケットにM判のシャツはほとんどが着られなくなってしまうのだ。
 先日、本駒込図書館で著作権についての資料を探していた時だ。最下段の書物を取り上げるために、しゃがみこんだら、次に立ちあがるときには膝の関節が痛くてスグには立ち上がれなかった。わたしの本探しを手伝ってそばにいる若い女性の図書館員に「どうも年をとると膝が痛くなってしまって……。なにか、ひざの痛みを取る本なんてのもありますか?」とたずねると、ニッコリ微笑して2冊を選んでくれた。
 早速借りて読書開始。頁を開いて最初に目にした大きな活字の〈肥満は最大の危険因子〉〈膝痛の患者さんは甘いもの好き?〉〈1kgの体重増で膝への衝撃が5kg増〉〈年齢とともに軟骨の弾力性とかたさが失われる〉などには、思い当たることばかり。患者さんの質問に答えるコラムのなかで「年と共に減っていくのは軟骨だけではない。だんだん磨り減ってやがて死んでしまう自然現象の一過程に過ぎないんだ」(『ひざの痛みをとる・治す』成美堂出版)。わたしがこの本で印象的だった言葉のひとつに「医師のやる部分と本人しか実行出来ない部分があります」との記述のところで、本書を参考にしながら「医師のやる部分」を求めて実際にその診断を千駄木の病院で受けてみた。膝部分のレントゲン撮影の結果、右膝関節内側の軟骨が減っていることが分かった。「これ以上磨り減らさないようにする」ために医師は「スクワットがいいですよ」と、ひざの曲げ伸ばし訓練をすすめて下さったのである。さあ、実行しよう。このまま老いぼれ朽ち果てるわけにはいかない。独特の「加齢臭」とか「老人のもつむさくるしさ」はごめんだ。こぎれいに、できれば美しく「老麗化」できないものか。坂を降りながら、反対側の歩道に一人の75歳位の小柄な男性が立っている姿が見えた。わたしの目を引いたのは、細めでブルーのジーパンをはいて、グリーンのブルゾン、グリーンとブルーのコンビの帽子をかぶった姿。やや小型のショルダーバッグをつけている。色はイエローオレンジ。そのコントラストが秋空に映えて根津神社を背景に美しく見えた。この人は今日奥さんと一緒ではないのだろうか。それとも独り身を持て余すことなく自由を愉しんで居られる様にもお見受けするのですが。
 先ほどの医師からは今後の通院の勧めはなかったし、クスリの処方もなかった。ただ、スクワットの見本をみせて下さったし、膝を冷やさないためのカバーも添えていただいた。この分は無料だったことが後で分かり、恐縮する。毎週土曜日は朝一番の9時に事務所の5軒先の歯科医院で歯を洗って頂くこと15分。おかげさまで口臭は全く消えた。これで「あのじいさん口がくさい」といわれなくてすむ。土曜日の朝は特に念入りに体を洗う。髪も伸びていれば自分でカットする。数年前から髪も自分で茶色に染めているので、色が落ちているようなら染め直す。オープンシャツを着る前の肌着にシュッとほんの気持ち程度のオーデコロンがわたしの小さな秘密。歯科医院の後、用事がなければ映画を見に行く。
 その日はシネカノン有楽町2で「ヤング@ハート」を観る。チケット売り場のおねえさんに「あのう、年寄りばかりが歌う映画ってどれでしたっけ?」と訊いて入場券を買うありさま。老人ばかりのコーラスなんて、なんか身につまされて本当は観たくもなかった。ところが期待しないで観ると素晴らしい作品にあたるもの。何と言っても平均年齢80の彼等がなぜ歌うのか、きびしい練習風景、なかなか歌詞を覚えられないもどかしさ、年金暮らしのつつましさ、毎年のように仲間から病死者がでる淋しさ、しかし体の調子が悪くてもステージに立って観客から大きな拍手を受ける、その歓よろこび。そしてアンコールにこたえての熱唱。質素だけれども精一杯のおしゃれをして観客と感動を分かち合う、18人のおじいちゃんとおばあちゃんたち。老いてもその輝くばかりの麗うるわしさにしばし心をうばわれ、歌詞を口ずさんでしまう。FOREVER YOUNG――いつまでも若く。
 わたしはせっかちなので、映画の終わる直前に席を立っている。扉の外の劇場ロビーはまだすいていた。映画が気に入ると、パンフレットを必ず購入。今回はほかにヤング@ハート―オリジナル・サウンドトラック(ライブCD付2枚組)も一緒に。CDには27曲も収録されていた。1曲くらいわたしも練習して歌ってみたい。そんな愉しい気分にさせてくれる映画だ。わたしたちはお互いに人間同士、若いか、お年寄りかの違い。そこで、栄養学研究家、東畑朝子さんの文を引用してみよう。「どれだけ健康に気を配っても病気になる時はなる。苦しんだり、悩んだり、不安だったり、痛かったり。それでも、実際に起きて、動いて、毎日を忙しくやり過ごせるなら、どんなに幸せだろう。老いること、病気になる事は当たり前。それを引き受けながら、ほどほどに、ゆっくりと、でも休まず、いい習慣を末永く続ける。そうすればいくつになっても歩き、好きな場所へ行き、人と会い、珍しいものに感動できるはず」、そして栄養学研究家らしく「基本はやはり食だ。小難しい理屈はいらない。その基本は@必ず3食を摂る。A労働の軽い女性で1日1600キロカロリーが目安、B夜食と間食をしない。その上で@牛乳・乳製品・卵、A魚・肉・大豆、B野菜・根菜・果物・海藻、C穀類・砂糖・油脂から万遍なく食べること。グループ分け,細分化、さらに1日30品目と決めないで、@〜Cを普通に愉しく食べるぐらいでいい」。老いても麗しく生活したい。身だしなみを整え、体調や食事に気を配る。そこに大きな生き甲斐にもなろう趣味をもつ。でも休まず、いい習慣を末永く続ける。そうすればいくつになっても歩き、好きな場所へ行き、人と会い、珍しいものに感動できるはず。


2008年12月発行『文京区支部報』569号より

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