エッセイ

父がお世話になった皆様へ

父がお世話になった皆様へ

佐藤豪一 文京区議会議員
東京不動産企画株式会社(東地区4班)代表取締役

謹啓 亡き父、弊社会長佐藤康祐、儀10月8日80歳の天寿を全うし永眠いたしました。
生前のご憩情に対して謹んでお礼申し上げます。
昭和21年1月、私の祖父安三が「文京不動産」として創業しました不動産会社に昭和30年代後半に父は勤めたと聞きました。しばらく勤めるも反りが合わず、父は根津藍染町の実家で昭和41年6月に「東京不動産企画」(個人)として開業しました。昭和48年の祖父の他界により「文京不動産」と合併し店舗を持ち、その後「東京不動産企画株式会社」として今日まで、高度成長やバブル期、またバブル経済の崩壊など、良い時も苦しい時も潮流に揉まれつつも沈まず生き残ってまいりました。
祖父も父も宴が好きでたくさんの方々から武勇伝を聞いております。
祖父の時代の取引は銀行振り込みもなかったので現金決済、売買や賃貸の取引に大手不動産会社の進出もなかったので、面白いように取引があったと聞きました。売買の取引では決済後、数千万円の現金をリュックに入れて帰ることが日常で、時にはそのまま上野湯島や浅草に飲みに行きキャバレーの生バンドで「ベッサメムーチョ」を歌い、バンドにリュックのお札をばら撒いていたという話を度々聞かされました。
父は高度成長期やバブル期に羽振りがよく、業協会文京区支部を始め本部役員をさせていただいていたので、関係の皆さまや父が愛したゴルフを通じての友人、ライオンズクラブ、地域の方々やお客様と毎晩のように飲み歩いていました。
自分の父のことをよく言うのもなんだか恥ずかしいですが、いつも楽しそうに酒を飲み、面倒見がよい人柄で!あったと感じていました。
そんな時代も天と地がひっくり返ったように崩壊し、多くの企業が経験したように弊社も大変苦境に立たされました。私は当時ラグビー選手として活躍しておりましたが、父の最大の楽しみの私の試合観戦もあまり来なくなりました。今思うとあの時父は今の私くらいの年齢だったのです。50代の一番脂がのったときにバブル経済の崩壊を経験し、棚卸資産を損切りしてすべて売却するも膨大な借金を背負いました。その当時私は身の丈も知らずにただ単に正義感、し入社に年11、平成い思をしていきたいと借金返済と父で父と大手金融機関の債務超過企業担当の部署に毎月報告に行きました。そこでは30代の東大卒の金融機関社員が父に詰め寄る会話を聞きながら悔しくて、反論をした私を父は説教したものでした。今思えばこそそこに父の経営者としての我慢強さを感じました。バブル経済崩壊後約20年かかり返済を終えました。すでに父は私に会社を譲っていたものの心労はあったのでしょうか、69歳の時に急逝胃潰瘍になり胃を全摘し、以後フレイルになって行きました。
最後まで好きなタバコと酒はやめることなく、その後11年大往生しての永眠で家族は心の準備はついていました。コロナ禍のため父は家族葬をと話しておりましたが、親しい方々のアドバイスで告別式一日のみの葬儀となりました。
残された私たちは、父の意思を汲み、社員一丸となって仕事に励み、しっかりと繁栄し、一層皆さまのお役に立てる不動産会社を目指してまいります。
今後とも父同様のお付き合いと至らぬ点につきましてはご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

謹白

STAY HOME~楽器演奏が趣味の方へ~

脇坂元博 東地区 4班 株式会社脇坂不動産共報会

自宅で演奏して、YouTubeに自分の演奏をアップロードする方がとても増えています。
弾きたい曲に合わせて演奏する方、自分で音源を作って演奏する方、講師の様に演奏解説する動画などもあります
そこで、演奏動画を作成する方法をご案内します。
自宅にいる時間が長くなっていますので、この機会に演奏動画を撮ってみませんか?

家にいる時間が長くても楽しめる方法は色々あります。ぜひ、皆さんも見つけてSTAY HOMEを乗り切りましょう。

コロナ禍と気づき新型コロナウイルス感染症に係る対応

文京区議会議員
佐藤豪一
東京不動産企画株式会社(東地区4班)代表取締役

文京宅建の「願い」を背負い、「文京区のより良いまちづくり」を目指します。
宅建文京区支部のみなさま、コロナ禍の中、大変な思いをされていることとお察しいたします。
業協会のみなさまにおかれましては安全で、この苦境を健康に乗り切っていただきたいと心よりお祈りいたします。事態の早期終息とワクチン、治療薬の早期開発を願います。
さて、このような状況下ではございますが、業協会の諸先輩はバブル経済崩壊やリーマンショックなど、数々の禍を乗り越えてきたことと存じます。弊社も1~3月の売り上げが好調であったものの、4月5月は時短営業や社員の在宅ワークを実施し、売上げは凹みが大きく、なかなか厳しい思いをしております。
ただ、今回大変勉強になったこともたくさんございます。ダーウィンの「進化論」ではございませんが、「強いものでも頭の良いものでもなく、時代に適応したものが生き残る。」私だけでなくそう感じた方はたくさんいると思います。
『コロナ禍と気づき』
私は不動産業の他にビルメンテ会社と飲食店を経営しておりますが。飲食店は会社を立ち上げて3年になりますが赤字が続いております。コロナ禍の中、廃業しようかと思いながらも時節に適応し「テイクアウトとデリバリー」に注力してみたところ、これがヒット、地元のみなさまに助けられつつも「デリバリー」のニーズがこんなにも多いとは知りませんでした。コロナ緊急事態宣言を受けた後の方が売上げは伸びているのです。従業員もはじめは嫌々、恐る恐るデリバリーに出かけていましたが、今ではデリバリーが少ない日が不安になるようになりました。
また、デリバリーというと地域の事がよくわかっていないと不安そうに思いますが今はそんな心配には及びません、携帯電話には GPSが掲載されているので、アルバイトに通勤している学生でも不安はないようです。
不動産業は来店されるお客様が激減いたしました、「ホームページ」、「SNS広告」を見直し、オンラインで物件が充分に紹介できるように変更しようと考えています。すべての物件を広角レンズや動画を使い紹介できるように「GoPro」を購入いたしました。これらのようにコロナ禍の中で気づかされたことはたくさんありました。
現金商売の業種はこの禍で直接的に被害を受けますが、不動産業界の不況はいつも少し遅れて来るようです。
コロナ禍の余波、第二波が不動産業界に最小限に留まってほしいものです。
『文京区令和2年度予算決定』
また、令和2年度予算(令和2年4月~令和3年3月末)特別委員会が可決され、1,114億円が執行されていますが、この度のコロナ禍で追加の約250億円が補正予算として追加される予定です。合計1,360億円の文京区の予算が有意義に使われることを引き続き宅建文京区支部を代表してチェックして参ります。
『文京区のまちづくりについて』
令和2年度文京区予算特別委員会において、私たち不動産業界の人間が最も気になる「まちづくり」について、他自治体に比べて土地面積の小さい文京区をいかに有効活用してクオリティーの高い「スモールシティー」の実現を目指すことです。
近年他自治体では「まちづくり」を決定する重要な機関「都市計画審議会」に学術経験者や区民主要団体代表として宅建業協会を指名する自治体が増えてきました。それを5年間言い続け、本年都市計画部より、私の委員会内質問の答弁として「前向きに検討する」と初めての進展を見せました。今年度中に研究し、来年度「都市計画審議会」の改選時に、我が業協会、区内建築士事務所協会等地域の特性を本当に理解し文京区の向上を願う専門団体に声がかかるようにロビー活動を続けたいと思います。
そしてその暁には「文京区絶対高さにかかわる高度地区の利用制限」見直しを実現し、駅前はバリアフリーの福祉施設などの充実した高度利用の促進と歴史ある閑静な住宅地のメリハリあるまちづくりを現実のものにしていきたいと考えております。

津軽三十三霊場めぐり

津軽三十三霊場めぐり
奥野光績 北地区4班/株式会社駒込不動産

私が女房と二人で新青森駅に降りたのは令和元年10月26日(土)の 9時47分であった。朝4時半、目覚まし時計に起こされ昨日準備しておいたジーパンと長袖のデニムのシャツに着替え、3日分の下着と遍路道の計画書、ブランデー(レミーマルタン)を軽くするためプラスチックボトルに入れ替えて竹に似せた
コップ2個にナッツ入りのチョコレートとピーナッツを塩甘く衣で絡めた(おつまみ)等を詰め込んだザックを背負い千石駅から巣鴨駅へ出て山手線で上野駅へ向かう。上野発6時38分の「はやぶさ1号」の中で食する駅弁を買って6号車 11列B・C席に座った。
発車して間もなく朝飯を済ませ暫くして眠りについた。目が覚めたら新青森の少し手前であった。駅前から弘南バス10時45分発の五所川原行きに乗るまでに小一時間あったので昼飯をコンビニで求め、バスに乗り込んだ。発車して30分程で「前田野目停留所」に着いた。空は雲が少し厚くなってきたが、約6㎞余り歩くと25番礼所の松倉神社、ここが津軽三十三礼所
の中で1番の難所である。松倉観音堂(五所川原市)めがけて急いだ。野道を6㎞程で脇道があり、入り口に観音堂の立て札と鳥居があったのでやっと着いたと思いきや幾つもの石像に導かれ500m程の坂道は次第に険しくなって女房は途中で棄権して私が戻るまで待つことにした。
登っていくと少し平らになった梵珠山の頂上に着いた。そこは古くなって風通しの良いお社があり、そこを参拝して空が怪しくなってきたので急いで山を下ったが、山をおりて平らな道に出たところで小雨が降ってきた。折り畳み傘をひろげて 10分程で雨は止んだ。やっと先程のバス停まで戻ると、ちょうどバス停そばに地蔵堂があり、そこで風をしのいで昼飯を済ませて、 14時15分発のバスで JR大釈迦駅近くの寺にて御朱印を戴くべく12分程揺られ、降りたバス停から4~500mの元光寺で戴いてから大釈迦駅は近かった。青森行き15時54分発迄待ち、列車に乗ると24分程で青森駅に着いた。16時を廻っていたので22番礼所「正覚寺」(浄土宗)に17時前に着かないと御朱印を戴けないのである。青森駅は50年程前に県庁へ補助金監査という名目の鞄持ち出張で来たことがあったが、街の記憶はなかった。
駅からの広い道路の両側にはアーケードのように屋根があり、駅から1㎞余りで寺の門をくぐった時は日が暮れており、御朱印を戴き出る時は真っ暗だった。青森駅に戻り17時15分発で浅虫温泉駅に着いたのは17時46分。今夜お世話になる海岸沿いの「秋田屋」に着いたのは18時を廻っていた。今日は結構歩いたので、温泉の心地良さは格別であり、湯上りのビールと地酒は五臓六腑にしみわたった。
翌朝は浅虫温泉から 1㎞程歩いたところの23番礼所、夢宅寺(曹洞宗)で聖観音を参拝し、 JRで青森駅へ戻りバスで入内迄行き 24番礼所入内観音堂の聖観音を参拝して青森駅から弘前駅へ、そして弘南鉄道で黒石駅を下車し徒歩で26番礼所「法眼寺」の十一面観音を参拝したのは17時だった。辺りは真っ暗になっていた。バスを待ち黒石温泉郷のはずれにある板留温泉「あずまし屋」に着いたのは 18時半を廻っていた。着くと直ぐ温泉に浸かり、喉を潤し夕飯をすませて20時すぎに、宿の女将に「もみじ山をライトアップして綺麗だから是非見るといいですよ」と宿の近くの名所を勧められた。少し酒もまわっていたが、二人で出かけてみると道は真っ暗だったが現地は見物客が結構来ており、ライトアップされた素晴らしい紅葉を楽しんできた。
翌朝は8時頃宿を出て27番礼所、白山姫神社の袋観音堂の馬頭観音を参拝してバスで黒石駅へ戻り弘前へ出て奥羽本線で長峰駅へ着いたのは11時39分。駅から徒歩で20分、32番礼所は大鰐町の苦木観音を参拝し途中で買ってきた、むすびの昼食を済ませ時間があったので参道の落ち葉を清掃してきた。新青森に戻ったのは16時11分。「はやぶさ40号」は18時38分発なので、いき付けの駅ビル1階の和風酒場へ行き1時間程楽しんだ。
津軽の礼所はお寺が3分の1の11カ寺と神社が22社で神社のほとんどが無人である為御朱印を戴くのに骨が折れる。今回は4度目で25箇所廻ったので残り8箇所となり、あと1度で済みそうだ。

パチンコの未来を憂いて

パチンコの未来を憂いて

寺村安弘 北地区 2班/(株)寺村企画

この原稿では自分の趣味のことやおすすめのお店のことなどを書くらしいのですが、あまり趣味もなく、前職は板前なのですが食にも興味がないので、正直書く題材がなく、
こういった場で書く文章として相応しくない題材かもしれませんが、唯一の趣味であるパチンコについて書かせていただきます。
お気づきの方も多いと思いますが、昨今パチンコ業界の衰退が止まりません。
昔は何処の駅にも大概あったパチンコ店ですが、今では繁華街の大型店でも閉店する店が増えております。
実際、ピークには18,000店ほどあったパチンコ店も現在は10,000店を割り込み最盛期からまさしく半減しています。
もともと趣味の多様化や可処分所得の減少等から若者の新規参入が減り、また、ギャンブル性の向上による遊戯費の高騰や、インターネットの普及によるアンチパチンコ派のバッシングの過激化などで著しくイメージが害されたことにより既存の参加人口も減少し、いつしか斜陽産業とまで言われるようになっていきました。
さらに、政府がカジノ関連法案を可決するためにギャンブル依存症を問題化したことにより法令が改正され今設置してある遊技機は近々ギャンブル性の低い機械に入れ替えなくてはならなくなりました。
その費用を捻出できないパチンコ店の閉店が予想され、パチンコ店の閉店に拍車がかかっていくと言われています。
本当にパチンコ終焉の時が近い将来やってくるかもしれません。
このことだけではなく、ネットの発展以降、世の中が物凄い勢いで変容しているように感じます。社会からグレーなものを排除してクリーンな社会になっていくという風潮は、とても良いことなのでしょうが、同時に他者に対する寛容性も失われてしまったように思います。
ちょっとグレー寄りの物たちに魅力を感じる自分としては、明治初期の士族にでもなったつもりで、「本当は昔のほうが良かったんだけどな」と、この社会の変容を憂いつつ自分のこよなく愛したパチンコの行く末を見守りたいと思っております。

金沢一泊二日旅行 名所・伝統文化・食をまとめて堪能

金曜会 恒例の旅行会

金沢一泊二日旅行 名所・伝統文化・食をまとめて堪能

鶴賀谷弘顕(有)ツルガヤ不動産

こんにちは、金曜会です。金曜会は7月7日から8日にかけて金沢へ旅行に行ってきました。朝、上野駅にて集合、新幹線で金沢到着。到着後マイクロバスに乗り換え兼六園を見学いたしました。金沢のまいもん寿司系列店で昼食後、白山比咩神社を参拝いたしました。悠久の歴史、御鎮座二千百年を超える白(しら) 山(やま) 比(ひ) 咩(め) 神(じん) 社(じゃ) は、全国に約3千社もある白山神社の総本宮で、地元では「すらやまさん」と呼ばれ親しまれてきました。御祭神・白(しら) 山(やま) 比(ひ) 咩(めの) 大(おお) 神(かみ) は、またの名を菊(くぐ) 理(り) 媛(ひめの) 神(かみ) といい、ご縁を「くくる」神といわれます。樹齢1000年以上の杉やあすなろがそびえる表参道や境内には堂々とした風格、荘厳な雰囲気がただよいます。そして、バスにて移動し宿舎があります山代温泉へ向かいました。
2日目、朝食後バスにて移動し永平寺を見学いたしました。そしてメインの九谷焼体験です。湯飲み茶碗に絵の具で絵付けをしてもらいます。九谷焼は絵の具と焼いた後の色が違うので、仕上げはプロに任せますが、皆さん絵のセンスはあるでしょうか。焼きあがるのは1カ月後です。どのような作品になるか楽しみです。そして昼食は、金沢中心を流れる犀川のほとりにあります明治末期の建物「杉の井」にて金沢の「食」を堪能いたしました。皆さんお腹がいっぱいになったところで、近江町市場に寄って鮮魚等のお土産を購入し帰路につきました。

青年会引継ぎ旅行にて北の大地へ

青年会引継ぎ旅行にて北の大地へ

2019年6月18日から一泊二日で北海道に行って参りました。総勢 19名の大所帯で、見所やご馳走が満載でした。
一日目は二組に分かれ、ゴルフ組は風光明媚な自然の景色の中でプレーを楽しんだ様子でした。観光ツアー組は目的地の旭山動物園以外はほぼノープラン、まさしく珍道中といった行程でしたが、和気あいあいとしたとても賑やかなドライブ観光でした。夕食は「郷土料理 なが井」にて海鮮フルコース。本場の海の幸が盛りだくさんで、札幌の夜を十分に満喫しました。
二日目は、小樽へ向かい「ニッカウヰスキー 余市蒸留所」にて見学や試飲をし、ウイスキーの聖地を拝見いたしました。「海鮮や よし丼」にて海鮮丼の昼食を頂いた後は小樽市内を観光し、新千歳空港にてもみなさん思い思いにラーメンやお寿司を楽しんでいました。満腹満足の二日間でした。

(青年会広報委員長 荒井慶昌

次の世代を担う子どもたちを育てる ─宅建文京区支部の変わらぬ支援に感謝─

寄稿  ─宅建文京区支部の変わらぬ支援に感謝─
NPO法人東京ジュニアオーケストラソサエティ(T.J.O.S)

理事長 小坂紀一郎

宅建文京区支部の皆様には大変な応援をいただき、心より感謝申し上げます。
東京ジュニアオーケストラソサエティ(T.J.O.S)は、オーケストラ活動を通じて次の世代を担う子どもたちを育てることを目的として1996年に発足し、活動は20年を超えました。
小学校3年生から20歳までの団員が、NHK交響楽団のコンサートマスターの篠崎史紀ほか30名に及ぶ一流の音楽家の指導の下で、皆で力を合わせてより良い音楽を作ろうと努力しております。その活動を通して、皆と協力すること、他のメンバーを尊重すること、年上や年下の子供と付き合うことなど沢山のことを学びます。
T.J.O.Sは他の類似の青少年オーケストラと違い、自治体や企業などスポンサーを持ちません。私たちの活動を御理解いただいている皆さまのような方々に支えられております。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様のお仕事とも関係が深い「次の世代のために木を植える」活動にどうぞ御参加ください。

藤田精一郎さんを偲んで

藤田精一郎さんを偲んで
寺村光司

偉大な先人を偲んで思い出を語ることを光栄に感じています。
私と藤田さんの最初の出会いは、ある日、事務所に呼ばれいきなり深谷先生の選挙カーに乗せられたことから始まりました。そして私が支部長に立候補することになった時、またしても事務所に呼ばれ、懇意の業者にお願いに行こうということで、昼から夕方まで一緒したのですが、藤田さんが立候補するかのようにお願いをしてくださいました。
無事当選しますと、事務所に呼ばれ、「記念に」と言って九谷焼の茶器のセットをくださいました。
藤田さんは、業界では全宅連・都宅協・東政連にて赫々たる成果を上げられ、またふるさと石川県に対しては、関東石川県人会会長として多大な貢献をされました。ぜひ皆様には藤田精一郎回顧録「手取川の流れとともに」をお読みいただけたらと思います。
偉大なる大先輩の功績に思いをいたし、ご冥福を心よりお祈りいたします。

TUBEのトリビュートバンド「TUVE」のご紹介

脇坂 元博(東地区4班/(株)脇坂不動産共報会)

わたくし、脇坂広報担当委員長は音楽バンドを結成して年に数回ライブ演奏をしています。バンド名は「TUVE」。夏バンド TUBEのトリビュートバンドです。
「シーズン・イン・ザ・サン」や「あー夏休み」など数々の名曲をフルバンドで演奏しています。
平成27年(2015年)の宅建文京区支部新年会では余興として出演させていただきました。生ライブで有名曲を披露し、会場の皆様も曲に合わせて踊って頂き、とても暑い会場になりました。
TUVEは、川崎にあるクラブチッタでの演奏経験もあり、約800人のお客さんを楽しませた事もあります。
大きなステージ経験があるバンドのため、企業様からの依頼も多数頂戴し、夏祭りや納涼会を盛り上げるパフォーマンスも行っています。無料イベントに出演したり、企画ライブに参加したり、様々な会場で演奏しています。
TUVEの名前をどこかで見ましたら、私が演奏していますので是非、観にいらしてください。