「エッセイ」カテゴリーアーカイブ

2期目区議・佐藤ごういちの区議会日誌No.4

文京区の「地域振興・まちづくり」に
支部が影響力を持つための取り組み(1)

文京区議会議員
東京不動産企画株式会社(東地区4班)代表取締役 佐藤 豪一

みなさまに区政に送り出していただき6年が経過しました。現在2期目の任期も3月末で折り返しとなります。
私が議員になるきっかけは「文京区絶対高さ制限を定める高度地区の指定」の条例化に関して、我が支部がこの条例の様々な問題点を問題提起したが、行政は我々が提起した一部については取りいれたものの、解決すべく諸問題を残したまま、条例自体は平成26年3月26日に施行されてしまいました。
条例施行に伴い、解決すべく諸問題がうやむやになることがないように、地域に根付いた我が支部の意見や提案が反映できる環境をつくることを私の使命として、6年間の議員活動に邁進してまいりました。そしてその環境づくりが成就したときに私のみなさまに信託された役割が終わるものだと考えております。
地域に長く根付いた我が支部会員は文京区に幅広く分布し、それぞれの地域でその地域の重要な役割を果たし活躍していることと存じます。長い間地域を見守り、地域を支えているのです。地域の「地域振興・まちづくり」には、そういった我が支部会員の見地が不可欠であると信じています。しかし、同時に我が支部会員は、向上心をもってSociety5.0時代(※1)、SDGs(※2)の観点を備えた、文京区の「地域振興・まちづくり」とは何か、しっかりと提案できるように、新たな法定再開発事業や地域振興・まちづくりについて研修などを活用し、対面式でもオンライン式でも勉強していかなくてはならないのかも知れません。
私は、文京区の「地域振興・まちづくり」に関する条例を行政主導で行う「地域振興・まちづくり」や「地区計画」や「条例」でなく、行政と是々非々でやりとりし、全てのステークホルダー(※3)主導で合意形成にもっていく、プロセスを大切にした、協働型合意形成だと思っています。そこに我が支部会員の見地が必要不可欠だと考えていて、行政に我が支部が必要不可欠であると気づいてもらえるようなポジショニングにもっていきたいと考えています。すでに行政が行う不動産相談委員や空き家対策審議会、文京すまいるプロジェクト等、支部会員の活躍は行政において評価されていますが、私は更に真ん中、中心にポジショニングしてほしいと考えています。それは、現在の文京区行政の「まちづくり」を始めとする都市計画全般、それらを決定していくプロセスに問題点があると考えるからです。(次号に続く)

(※1)society5.0
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)。狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。(出典:内閣府HP)

(※2)SDGs
持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。(出典;外務省HP)

(※3)ステークホルダー
企業・行政・NPO等の利害と行動に直接・間接的な利害関係を有する者を指す。日本語では利害関係者(りがいかんけいしゃ)という。具体的には、消費者(顧客)、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関など。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

Withコロナ特集『身近になった最先端技術で身近になった最先端技術でアフターコロナに対応アフターコロナに対応』

南地区3班(株)ギヤマン 宮本 修二

NVIDIAというアメリカのナスダックに上場している会社をご存じでしょうか。この会社 1999年に上場し2016年4月までは株価が $20~$30半ばで推移していましたがその後わずか5年で$543.64になりました。
この会社はグラフィックボードを専業で作っています。グラフィックボードというのはパソコンでゲームをしたり、動画を見たりするときに滑らかに動かす装置です。株価の値上がり前はそのほとんどがゲーム用のパソコンに使われていましたが、計算能力が格段に向上し、今ではゲームはもちろんビットコイン(仮想通貨)のマイニング(取引の承認・確認作業)や人工知能に多く使われるようになり株価が急騰しました。このボードのおかげで、Zoomの会議中に仮想の背景が付けられたりします。画像処理の得意な装置です。
最近は物件を紹介するのにゴーグルタイプの3D映像が見られる装置を準備されている会社もあると思いますが、それを動かしているのもグラフィックボード(GPU)なのです。身近になってきた3D、でも“3Dなんて高そうで難しそう、とても手を出せない”と思う方も多いでしょうが、この種の装置は5年前に比べて驚くほど安くなっています。又それに関連したソフトもたくさんありフリーの物もかなりネット上にあります。写真を複数張ったりパノラマ写真映像などの表現方法も有りますが一歩先を行く3Dを考える時ではないでしょうか。 PDFファイルをホームページに張り付けることは日常的にあると思いますが、最近のPDFは立体モデルを作ればPDF変換が出来、文章の中に3Dを張り付けられます。顧客が勝手に見たい所をマウス操作で見られるという事もできます。
それでは今実現している3D表現の世界はどうなっているのでしょうか。
画像がテレビから飛び出してくる 65インチくらいの3D用のテレビなら30㎝位は画面から飛び出して見えます。映像が宙に浮くモニターと特殊なプレートをはさみ反対側に映像が空中に浮きあがります。3D立体の蝶々が自分のすぐ前を飛んでいく、10人くらいは入れるドームに特殊なメガネをして入ると仮想空間が広がっています。同時に複数人見る事が出来ます。
これらは最先端の物でかなり高価な物ですが、先程書いたように我々にも手の届く価格の物が有ります。
一部のオタクたちの物でなく、その気になれば3Dを作成し見る事ができる時代が来たのです。その表現方法を使うことによって仲介や販売に差別化が出来るかも知れません。コロナの時代大きく価値観が変わり、今まで通りでは商売もなかなか立ち行かなくなって来ています。何が正解かはわかりませんがこれも一つの方法だと思います。

菅総理が初の所信声明スピーチで語ったこと

菅総理が初の所信声明スピーチで語ったこと

(広報協力委員 奥野光績

令和2年10月26日第99代目、菅新総理の所信声明演説がありました。課題を9つ程掲げており、
1、新型コロナウイルス対策と経済の両立。
2、デジタル社会の実現で、役所に行かずとも手続きができる。来年3月からは保険証とマイナンバーカードを一体化・運転免許のデジタル化を進める等改革を実行するためのデジタル庁の設立。
3、グリーン社会の実現、2050年までに温室効果ガスの排出をゼロにする、すなわち脱炭素社会の実現を目指す。
4、活力ある地方を創る、観光や農業改革などにより地方への人の流れを作り、日本の農産品はアジアをはじめ海外で根強い人気があり輸出を伸ばすことができる。地方の所得を増やし、地方を活性化し経済を浮上させる。
5、新たな人の流れを創る、今月からビジネス関係者や留学生について、全世界からの入国の緩和をした。
6、安心の社会保障、我が国の未来を担うのは子供達である、長年の課題である少子化対策を真正面から取り組むこと、待機児童の解消を目指すこと。全ての世代の方々が安心できる社会保障の構築。
7、東日本大震災からの復興、災害対策。福島の復興なくして、東北の復興なし、東北の復興なくして、日本の再生なし。一層のスピード感を持って、復興・再生に取り組みます。
8、外交・安全保障。拉致問題は、引き続き政権の最重要課題です。沖縄の基地負担軽減に取り組みます、中国との安定した関係、北方領土問題、極めて重要な隣国の韓国との健全な関係に戻すこと。
9、おわりに、規制改革を全力で進め「国民のために働く内閣」として改革を実現し、新しい時代を創りあげてまいります。概略以上でした。秋田育ちの勉強家。頑張って欲しいです。

ブラックスワン到来

ブラックスワン到来

(広報担当委員長 綱島陽介
ふとしたきっかけで、1年前の10月のスケジュール帳を見返してみました。そこには、例年の秋の行事が書かれていたり、年末年始イベントの準備作業が入っていたり。大いに盛り上がったラグビーワールドカップの試合日程も書かれていました。この頃は、半年後に東京でオリンピックが開催されることを微塵も疑っていなかったですし、1年後の今の状況を予測できた人などいなかったのではないでしょうか。このように予測困難で、現状を一変させる事象のことを、金融の世界では「ブラックスワン現象」と言うようです。ブラックスワンという言葉の由来は、昔の人々の間では白鳥という鳥は毛が白いというのが常識でしたが、オーストラリア大陸が発見され、そこには黒い白鳥が生息していたことから名付けられたそうです。現代の人からすれば、そんなに驚くようなことではないように思いますが、当時の常識や固定観念に囚われている昔の人々にとっては衝撃だったのでしょう。このブラックスワン現象の特徴はもう一つあって、事象が起こってしまった後には、いかにももっともらしい説明で最初から予測できたように感じさせてしまうことです。今回の新型コロナウイルスで言えば、ワイドショーに急に出演してくる自称専門家がしたり顔で世論を誘導していくようなイメージでしょうか。最新の研究から導かれた結論は、ブラックスワン出現の予測なんて出来ないということのようです。こう言われると身も蓋もないのですが、予測できないことにどのように対処すべきかという教訓はありそうです。つまり、「常識や固定観念を疑え」せめてビジネスの世界のブラックスワンには対処できるようになっておきたいと思う今日この頃でした。

安全な「食」のススメ

安全な「食」のススメ

三浦孝志 東地区
1班/株式会社タープ不動産情報

ほとんど料理もしない私が「食」に興味をもったのは、あるオーガニックチェーンを創業した社長の農薬や食品添加物に対する危険性を聞いた時からだ。
全ての農薬や食品添加物が有害だというわけではないが、できれば安全な食べ物を選ん方がいいと思う。例えば梅干しは、ちゃんと塩漬けして天日で干したものは腐らない。時間がたつことで熟成し、酸味や塩味だけでなく、まろやかなうま味が膨らんでくる。本来は何年経っても食べられるはずなのに、スーパーで売っている梅干しには賞味期限がある。数ヶ月で腐ってしまうのは何故か?
理由の一つは、減塩梅干しが人気で、塩を減らすことにあるが、大量生産、大量販売の現場で保存性が優先されるため、保存料などの添加物を入れることになる。余計なものが入るので、味のバランスを調整するために酸味料や甘味料も追加され、気が付くと不思議な味の梅干しになる。本来は発酵食品であるはずのキムチもなかにはまったく発酵していないものもある。単にキムチ味に調合した添加物たっぷりの調味液の中に野菜をつけてあるだけのものだそうだ。これをどれだけ食べても、腸内細菌の善玉菌が増えることはない。チョコレートは本来カカオ豆から作ったカカオマスに、カカオからとれたカカオバターを加え、砂糖や粉乳で味を整えたもの。とてもシンプルなはずなのに、カカオバターが高価なので、植物油脂を加えて作るチョコレートが日本では一般的だ。EUでは、植物油脂が5%以上入ってるものは「チョコレート」と記載できない。本場ベルギーは、植物油脂が少しでも入っていれば「チョコレート」と表示できないのだが、日本では植物油脂の添加量規定がないので、カカオ豆由来の成分が 35%以上であれば「チョコレート」表示ができ、 15%以上であれば「準チョコレート」と表示される。調味料に関しては、日本の伝統的な調味料は「発酵」という素晴らしい技術を用いて作ったものだ。発酵とは細菌やカビなどの微生物によって食品を分解させ、私たちの身体にいい成分に変化させることをいう。さらに、独特の味や風味が加わり、食べ物をおいしくし、納豆や漬物、麹漬けの魚なども季節を問わず食べることができる保存技術でもあった。そうして作られたものが「本物」だとしたら、現在の調味料はあらゆる手立てを使った「本物っぽい」ものが多い。原材料、製造方法、製造にかかる時間や人手も違い、食品添加物という昔には存在しなかったものも使われている。本物と本物っぽい食べ物には格段の違いがある。そこで、前出の社長から教わった「本物」を見る簡単な方法を紹介すると、まず商品を選ぶ前に「裏を見る」ことが重要になる。裏側のラベルには小さな文字でいろいろ書かれている。特に注目は「原材料」で、安いものは本来の食材の他にカタカナやアルファベットや謎の暗号みたいなものがいっぱい書かれている。逆に高いものは米、大豆、塩などシンプルになる。醤油をとっても、原材料に「大豆」「丸大豆」「脱脂加工大豆」と書かれたものがある。丸大豆は加工をしていない大豆のことで、大豆本来のうま味やコクがある。脱脂加工大豆を使った醤油は価格が安いが、大豆油を搾った後の搾りカスを使って短期間で発酵、熟成させて作る。本醸造は大豆に小麦と塩を加えた昔ながらの製法をいい、アミノ酸液や酵素分解調味液など添加したものは「混合醸造」と表記される。お勧めは「天然醸造」と書かれたもので、本醸造製造で更に発酵促進のための酵素を添加しないというルールがあり、原材料名も大豆、小麦、塩とシンプルだ。
他にも食品添加物が沢山使われている商品を紹介したいとこだが、欧米で禁止されている食品添加物が日本では認められていたり、有害とされているものの記載義務が無かったり、「食」に関する危険性はどんどん高まっていることも事実だ。
コロナ禍で自炊する回数が増えた人や食品の質や安全性に対する意識が高まった人も多く、口から体内に入る食品を選ぶ際に裏のラベルを読む習慣ができるだけで、かなり「食」への意識が変わり、スーパーでの買い物が楽しくなると思う。

父がお世話になった皆様へ

父がお世話になった皆様へ

佐藤豪一 文京区議会議員
東京不動産企画株式会社(東地区4班)代表取締役

謹啓 亡き父、弊社会長佐藤康祐、儀10月8日80歳の天寿を全うし永眠いたしました。
生前のご憩情に対して謹んでお礼申し上げます。
昭和21年1月、私の祖父安三が「文京不動産」として創業しました不動産会社に昭和30年代後半に父は勤めたと聞きました。しばらく勤めるも反りが合わず、父は根津藍染町の実家で昭和41年6月に「東京不動産企画」(個人)として開業しました。昭和48年の祖父の他界により「文京不動産」と合併し店舗を持ち、その後「東京不動産企画株式会社」として今日まで、高度成長やバブル期、またバブル経済の崩壊など、良い時も苦しい時も潮流に揉まれつつも沈まず生き残ってまいりました。
祖父も父も宴が好きでたくさんの方々から武勇伝を聞いております。
祖父の時代の取引は銀行振り込みもなかったので現金決済、売買や賃貸の取引に大手不動産会社の進出もなかったので、面白いように取引があったと聞きました。売買の取引では決済後、数千万円の現金をリュックに入れて帰ることが日常で、時にはそのまま上野湯島や浅草に飲みに行きキャバレーの生バンドで「ベッサメムーチョ」を歌い、バンドにリュックのお札をばら撒いていたという話を度々聞かされました。
父は高度成長期やバブル期に羽振りがよく、業協会文京区支部を始め本部役員をさせていただいていたので、関係の皆さまや父が愛したゴルフを通じての友人、ライオンズクラブ、地域の方々やお客様と毎晩のように飲み歩いていました。
自分の父のことをよく言うのもなんだか恥ずかしいですが、いつも楽しそうに酒を飲み、面倒見がよい人柄で!あったと感じていました。
そんな時代も天と地がひっくり返ったように崩壊し、多くの企業が経験したように弊社も大変苦境に立たされました。私は当時ラグビー選手として活躍しておりましたが、父の最大の楽しみの私の試合観戦もあまり来なくなりました。今思うとあの時父は今の私くらいの年齢だったのです。50代の一番脂がのったときにバブル経済の崩壊を経験し、棚卸資産を損切りしてすべて売却するも膨大な借金を背負いました。その当時私は身の丈も知らずにただ単に正義感、し入社に年11、平成い思をしていきたいと借金返済と父で父と大手金融機関の債務超過企業担当の部署に毎月報告に行きました。そこでは30代の東大卒の金融機関社員が父に詰め寄る会話を聞きながら悔しくて、反論をした私を父は説教したものでした。今思えばこそそこに父の経営者としての我慢強さを感じました。バブル経済崩壊後約20年かかり返済を終えました。すでに父は私に会社を譲っていたものの心労はあったのでしょうか、69歳の時に急逝胃潰瘍になり胃を全摘し、以後フレイルになって行きました。
最後まで好きなタバコと酒はやめることなく、その後11年大往生しての永眠で家族は心の準備はついていました。コロナ禍のため父は家族葬をと話しておりましたが、親しい方々のアドバイスで告別式一日のみの葬儀となりました。
残された私たちは、父の意思を汲み、社員一丸となって仕事に励み、しっかりと繁栄し、一層皆さまのお役に立てる不動産会社を目指してまいります。
今後とも父同様のお付き合いと至らぬ点につきましてはご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

謹白

STAY HOME~楽器演奏が趣味の方へ~

脇坂元博 東地区 4班 株式会社脇坂不動産共報会

自宅で演奏して、YouTubeに自分の演奏をアップロードする方がとても増えています。
弾きたい曲に合わせて演奏する方、自分で音源を作って演奏する方、講師の様に演奏解説する動画などもあります
そこで、演奏動画を作成する方法をご案内します。
自宅にいる時間が長くなっていますので、この機会に演奏動画を撮ってみませんか?

家にいる時間が長くても楽しめる方法は色々あります。ぜひ、皆さんも見つけてSTAY HOMEを乗り切りましょう。

コロナ禍と気づき新型コロナウイルス感染症に係る対応

文京区議会議員
佐藤豪一
東京不動産企画株式会社(東地区4班)代表取締役

文京宅建の「願い」を背負い、「文京区のより良いまちづくり」を目指します。
宅建文京区支部のみなさま、コロナ禍の中、大変な思いをされていることとお察しいたします。
業協会のみなさまにおかれましては安全で、この苦境を健康に乗り切っていただきたいと心よりお祈りいたします。事態の早期終息とワクチン、治療薬の早期開発を願います。
さて、このような状況下ではございますが、業協会の諸先輩はバブル経済崩壊やリーマンショックなど、数々の禍を乗り越えてきたことと存じます。弊社も1~3月の売り上げが好調であったものの、4月5月は時短営業や社員の在宅ワークを実施し、売上げは凹みが大きく、なかなか厳しい思いをしております。
ただ、今回大変勉強になったこともたくさんございます。ダーウィンの「進化論」ではございませんが、「強いものでも頭の良いものでもなく、時代に適応したものが生き残る。」私だけでなくそう感じた方はたくさんいると思います。
『コロナ禍と気づき』
私は不動産業の他にビルメンテ会社と飲食店を経営しておりますが。飲食店は会社を立ち上げて3年になりますが赤字が続いております。コロナ禍の中、廃業しようかと思いながらも時節に適応し「テイクアウトとデリバリー」に注力してみたところ、これがヒット、地元のみなさまに助けられつつも「デリバリー」のニーズがこんなにも多いとは知りませんでした。コロナ緊急事態宣言を受けた後の方が売上げは伸びているのです。従業員もはじめは嫌々、恐る恐るデリバリーに出かけていましたが、今ではデリバリーが少ない日が不安になるようになりました。
また、デリバリーというと地域の事がよくわかっていないと不安そうに思いますが今はそんな心配には及びません、携帯電話には GPSが掲載されているので、アルバイトに通勤している学生でも不安はないようです。
不動産業は来店されるお客様が激減いたしました、「ホームページ」、「SNS広告」を見直し、オンラインで物件が充分に紹介できるように変更しようと考えています。すべての物件を広角レンズや動画を使い紹介できるように「GoPro」を購入いたしました。これらのようにコロナ禍の中で気づかされたことはたくさんありました。
現金商売の業種はこの禍で直接的に被害を受けますが、不動産業界の不況はいつも少し遅れて来るようです。
コロナ禍の余波、第二波が不動産業界に最小限に留まってほしいものです。
『文京区令和2年度予算決定』
また、令和2年度予算(令和2年4月~令和3年3月末)特別委員会が可決され、1,114億円が執行されていますが、この度のコロナ禍で追加の約250億円が補正予算として追加される予定です。合計1,360億円の文京区の予算が有意義に使われることを引き続き宅建文京区支部を代表してチェックして参ります。
『文京区のまちづくりについて』
令和2年度文京区予算特別委員会において、私たち不動産業界の人間が最も気になる「まちづくり」について、他自治体に比べて土地面積の小さい文京区をいかに有効活用してクオリティーの高い「スモールシティー」の実現を目指すことです。
近年他自治体では「まちづくり」を決定する重要な機関「都市計画審議会」に学術経験者や区民主要団体代表として宅建業協会を指名する自治体が増えてきました。それを5年間言い続け、本年都市計画部より、私の委員会内質問の答弁として「前向きに検討する」と初めての進展を見せました。今年度中に研究し、来年度「都市計画審議会」の改選時に、我が業協会、区内建築士事務所協会等地域の特性を本当に理解し文京区の向上を願う専門団体に声がかかるようにロビー活動を続けたいと思います。
そしてその暁には「文京区絶対高さにかかわる高度地区の利用制限」見直しを実現し、駅前はバリアフリーの福祉施設などの充実した高度利用の促進と歴史ある閑静な住宅地のメリハリあるまちづくりを現実のものにしていきたいと考えております。

津軽三十三霊場めぐり

津軽三十三霊場めぐり
奥野光績 北地区4班/株式会社駒込不動産

私が女房と二人で新青森駅に降りたのは令和元年10月26日(土)の 9時47分であった。朝4時半、目覚まし時計に起こされ昨日準備しておいたジーパンと長袖のデニムのシャツに着替え、3日分の下着と遍路道の計画書、ブランデー(レミーマルタン)を軽くするためプラスチックボトルに入れ替えて竹に似せた
コップ2個にナッツ入りのチョコレートとピーナッツを塩甘く衣で絡めた(おつまみ)等を詰め込んだザックを背負い千石駅から巣鴨駅へ出て山手線で上野駅へ向かう。上野発6時38分の「はやぶさ1号」の中で食する駅弁を買って6号車 11列B・C席に座った。
発車して間もなく朝飯を済ませ暫くして眠りについた。目が覚めたら新青森の少し手前であった。駅前から弘南バス10時45分発の五所川原行きに乗るまでに小一時間あったので昼飯をコンビニで求め、バスに乗り込んだ。発車して30分程で「前田野目停留所」に着いた。空は雲が少し厚くなってきたが、約6㎞余り歩くと25番礼所の松倉神社、ここが津軽三十三礼所
の中で1番の難所である。松倉観音堂(五所川原市)めがけて急いだ。野道を6㎞程で脇道があり、入り口に観音堂の立て札と鳥居があったのでやっと着いたと思いきや幾つもの石像に導かれ500m程の坂道は次第に険しくなって女房は途中で棄権して私が戻るまで待つことにした。
登っていくと少し平らになった梵珠山の頂上に着いた。そこは古くなって風通しの良いお社があり、そこを参拝して空が怪しくなってきたので急いで山を下ったが、山をおりて平らな道に出たところで小雨が降ってきた。折り畳み傘をひろげて 10分程で雨は止んだ。やっと先程のバス停まで戻ると、ちょうどバス停そばに地蔵堂があり、そこで風をしのいで昼飯を済ませて、 14時15分発のバスで JR大釈迦駅近くの寺にて御朱印を戴くべく12分程揺られ、降りたバス停から4~500mの元光寺で戴いてから大釈迦駅は近かった。青森行き15時54分発迄待ち、列車に乗ると24分程で青森駅に着いた。16時を廻っていたので22番礼所「正覚寺」(浄土宗)に17時前に着かないと御朱印を戴けないのである。青森駅は50年程前に県庁へ補助金監査という名目の鞄持ち出張で来たことがあったが、街の記憶はなかった。
駅からの広い道路の両側にはアーケードのように屋根があり、駅から1㎞余りで寺の門をくぐった時は日が暮れており、御朱印を戴き出る時は真っ暗だった。青森駅に戻り17時15分発で浅虫温泉駅に着いたのは17時46分。今夜お世話になる海岸沿いの「秋田屋」に着いたのは18時を廻っていた。今日は結構歩いたので、温泉の心地良さは格別であり、湯上りのビールと地酒は五臓六腑にしみわたった。
翌朝は浅虫温泉から 1㎞程歩いたところの23番礼所、夢宅寺(曹洞宗)で聖観音を参拝し、 JRで青森駅へ戻りバスで入内迄行き 24番礼所入内観音堂の聖観音を参拝して青森駅から弘前駅へ、そして弘南鉄道で黒石駅を下車し徒歩で26番礼所「法眼寺」の十一面観音を参拝したのは17時だった。辺りは真っ暗になっていた。バスを待ち黒石温泉郷のはずれにある板留温泉「あずまし屋」に着いたのは 18時半を廻っていた。着くと直ぐ温泉に浸かり、喉を潤し夕飯をすませて20時すぎに、宿の女将に「もみじ山をライトアップして綺麗だから是非見るといいですよ」と宿の近くの名所を勧められた。少し酒もまわっていたが、二人で出かけてみると道は真っ暗だったが現地は見物客が結構来ており、ライトアップされた素晴らしい紅葉を楽しんできた。
翌朝は8時頃宿を出て27番礼所、白山姫神社の袋観音堂の馬頭観音を参拝してバスで黒石駅へ戻り弘前へ出て奥羽本線で長峰駅へ着いたのは11時39分。駅から徒歩で20分、32番礼所は大鰐町の苦木観音を参拝し途中で買ってきた、むすびの昼食を済ませ時間があったので参道の落ち葉を清掃してきた。新青森に戻ったのは16時11分。「はやぶさ40号」は18時38分発なので、いき付けの駅ビル1階の和風酒場へ行き1時間程楽しんだ。
津軽の礼所はお寺が3分の1の11カ寺と神社が22社で神社のほとんどが無人である為御朱印を戴くのに骨が折れる。今回は4度目で25箇所廻ったので残り8箇所となり、あと1度で済みそうだ。

パチンコの未来を憂いて

パチンコの未来を憂いて

寺村安弘 北地区 2班/(株)寺村企画

この原稿では自分の趣味のことやおすすめのお店のことなどを書くらしいのですが、あまり趣味もなく、前職は板前なのですが食にも興味がないので、正直書く題材がなく、
こういった場で書く文章として相応しくない題材かもしれませんが、唯一の趣味であるパチンコについて書かせていただきます。
お気づきの方も多いと思いますが、昨今パチンコ業界の衰退が止まりません。
昔は何処の駅にも大概あったパチンコ店ですが、今では繁華街の大型店でも閉店する店が増えております。
実際、ピークには18,000店ほどあったパチンコ店も現在は10,000店を割り込み最盛期からまさしく半減しています。
もともと趣味の多様化や可処分所得の減少等から若者の新規参入が減り、また、ギャンブル性の向上による遊戯費の高騰や、インターネットの普及によるアンチパチンコ派のバッシングの過激化などで著しくイメージが害されたことにより既存の参加人口も減少し、いつしか斜陽産業とまで言われるようになっていきました。
さらに、政府がカジノ関連法案を可決するためにギャンブル依存症を問題化したことにより法令が改正され今設置してある遊技機は近々ギャンブル性の低い機械に入れ替えなくてはならなくなりました。
その費用を捻出できないパチンコ店の閉店が予想され、パチンコ店の閉店に拍車がかかっていくと言われています。
本当にパチンコ終焉の時が近い将来やってくるかもしれません。
このことだけではなく、ネットの発展以降、世の中が物凄い勢いで変容しているように感じます。社会からグレーなものを排除してクリーンな社会になっていくという風潮は、とても良いことなのでしょうが、同時に他者に対する寛容性も失われてしまったように思います。
ちょっとグレー寄りの物たちに魅力を感じる自分としては、明治初期の士族にでもなったつもりで、「本当は昔のほうが良かったんだけどな」と、この社会の変容を憂いつつ自分のこよなく愛したパチンコの行く末を見守りたいと思っております。