エッセイ

パチンコの未来を憂いて

パチンコの未来を憂いて

寺村安弘 北地区 2班/(株)寺村企画

この原稿では自分の趣味のことやおすすめのお店のことなどを書くらしいのですが、あまり趣味もなく、前職は板前なのですが食にも興味がないので、正直書く題材がなく、
こういった場で書く文章として相応しくない題材かもしれませんが、唯一の趣味であるパチンコについて書かせていただきます。
お気づきの方も多いと思いますが、昨今パチンコ業界の衰退が止まりません。
昔は何処の駅にも大概あったパチンコ店ですが、今では繁華街の大型店でも閉店する店が増えております。
実際、ピークには18,000店ほどあったパチンコ店も現在は10,000店を割り込み最盛期からまさしく半減しています。
もともと趣味の多様化や可処分所得の減少等から若者の新規参入が減り、また、ギャンブル性の向上による遊戯費の高騰や、インターネットの普及によるアンチパチンコ派のバッシングの過激化などで著しくイメージが害されたことにより既存の参加人口も減少し、いつしか斜陽産業とまで言われるようになっていきました。
さらに、政府がカジノ関連法案を可決するためにギャンブル依存症を問題化したことにより法令が改正され今設置してある遊技機は近々ギャンブル性の低い機械に入れ替えなくてはならなくなりました。
その費用を捻出できないパチンコ店の閉店が予想され、パチンコ店の閉店に拍車がかかっていくと言われています。
本当にパチンコ終焉の時が近い将来やってくるかもしれません。
このことだけではなく、ネットの発展以降、世の中が物凄い勢いで変容しているように感じます。社会からグレーなものを排除してクリーンな社会になっていくという風潮は、とても良いことなのでしょうが、同時に他者に対する寛容性も失われてしまったように思います。
ちょっとグレー寄りの物たちに魅力を感じる自分としては、明治初期の士族にでもなったつもりで、「本当は昔のほうが良かったんだけどな」と、この社会の変容を憂いつつ自分のこよなく愛したパチンコの行く末を見守りたいと思っております。

金沢一泊二日旅行 名所・伝統文化・食をまとめて堪能

金曜会 恒例の旅行会

金沢一泊二日旅行 名所・伝統文化・食をまとめて堪能

鶴賀谷弘顕(有)ツルガヤ不動産

こんにちは、金曜会です。金曜会は7月7日から8日にかけて金沢へ旅行に行ってきました。朝、上野駅にて集合、新幹線で金沢到着。到着後マイクロバスに乗り換え兼六園を見学いたしました。金沢のまいもん寿司系列店で昼食後、白山比咩神社を参拝いたしました。悠久の歴史、御鎮座二千百年を超える白(しら) 山(やま) 比(ひ) 咩(め) 神(じん) 社(じゃ) は、全国に約3千社もある白山神社の総本宮で、地元では「すらやまさん」と呼ばれ親しまれてきました。御祭神・白(しら) 山(やま) 比(ひ) 咩(めの) 大(おお) 神(かみ) は、またの名を菊(くぐ) 理(り) 媛(ひめの) 神(かみ) といい、ご縁を「くくる」神といわれます。樹齢1000年以上の杉やあすなろがそびえる表参道や境内には堂々とした風格、荘厳な雰囲気がただよいます。そして、バスにて移動し宿舎があります山代温泉へ向かいました。
2日目、朝食後バスにて移動し永平寺を見学いたしました。そしてメインの九谷焼体験です。湯飲み茶碗に絵の具で絵付けをしてもらいます。九谷焼は絵の具と焼いた後の色が違うので、仕上げはプロに任せますが、皆さん絵のセンスはあるでしょうか。焼きあがるのは1カ月後です。どのような作品になるか楽しみです。そして昼食は、金沢中心を流れる犀川のほとりにあります明治末期の建物「杉の井」にて金沢の「食」を堪能いたしました。皆さんお腹がいっぱいになったところで、近江町市場に寄って鮮魚等のお土産を購入し帰路につきました。

青年会引継ぎ旅行にて北の大地へ

青年会引継ぎ旅行にて北の大地へ

2019年6月18日から一泊二日で北海道に行って参りました。総勢 19名の大所帯で、見所やご馳走が満載でした。
一日目は二組に分かれ、ゴルフ組は風光明媚な自然の景色の中でプレーを楽しんだ様子でした。観光ツアー組は目的地の旭山動物園以外はほぼノープラン、まさしく珍道中といった行程でしたが、和気あいあいとしたとても賑やかなドライブ観光でした。夕食は「郷土料理 なが井」にて海鮮フルコース。本場の海の幸が盛りだくさんで、札幌の夜を十分に満喫しました。
二日目は、小樽へ向かい「ニッカウヰスキー 余市蒸留所」にて見学や試飲をし、ウイスキーの聖地を拝見いたしました。「海鮮や よし丼」にて海鮮丼の昼食を頂いた後は小樽市内を観光し、新千歳空港にてもみなさん思い思いにラーメンやお寿司を楽しんでいました。満腹満足の二日間でした。

(青年会広報委員長 荒井慶昌

次の世代を担う子どもたちを育てる ─宅建文京区支部の変わらぬ支援に感謝─

寄稿  ─宅建文京区支部の変わらぬ支援に感謝─
NPO法人東京ジュニアオーケストラソサエティ(T.J.O.S)

理事長 小坂紀一郎

宅建文京区支部の皆様には大変な応援をいただき、心より感謝申し上げます。
東京ジュニアオーケストラソサエティ(T.J.O.S)は、オーケストラ活動を通じて次の世代を担う子どもたちを育てることを目的として1996年に発足し、活動は20年を超えました。
小学校3年生から20歳までの団員が、NHK交響楽団のコンサートマスターの篠崎史紀ほか30名に及ぶ一流の音楽家の指導の下で、皆で力を合わせてより良い音楽を作ろうと努力しております。その活動を通して、皆と協力すること、他のメンバーを尊重すること、年上や年下の子供と付き合うことなど沢山のことを学びます。
T.J.O.Sは他の類似の青少年オーケストラと違い、自治体や企業などスポンサーを持ちません。私たちの活動を御理解いただいている皆さまのような方々に支えられております。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様のお仕事とも関係が深い「次の世代のために木を植える」活動にどうぞ御参加ください。

藤田精一郎さんを偲んで

藤田精一郎さんを偲んで
寺村光司

偉大な先人を偲んで思い出を語ることを光栄に感じています。
私と藤田さんの最初の出会いは、ある日、事務所に呼ばれいきなり深谷先生の選挙カーに乗せられたことから始まりました。そして私が支部長に立候補することになった時、またしても事務所に呼ばれ、懇意の業者にお願いに行こうということで、昼から夕方まで一緒したのですが、藤田さんが立候補するかのようにお願いをしてくださいました。
無事当選しますと、事務所に呼ばれ、「記念に」と言って九谷焼の茶器のセットをくださいました。
藤田さんは、業界では全宅連・都宅協・東政連にて赫々たる成果を上げられ、またふるさと石川県に対しては、関東石川県人会会長として多大な貢献をされました。ぜひ皆様には藤田精一郎回顧録「手取川の流れとともに」をお読みいただけたらと思います。
偉大なる大先輩の功績に思いをいたし、ご冥福を心よりお祈りいたします。

TUBEのトリビュートバンド「TUVE」のご紹介

脇坂 元博(東地区4班/(株)脇坂不動産共報会)

わたくし、脇坂広報担当委員長は音楽バンドを結成して年に数回ライブ演奏をしています。バンド名は「TUVE」。夏バンド TUBEのトリビュートバンドです。
「シーズン・イン・ザ・サン」や「あー夏休み」など数々の名曲をフルバンドで演奏しています。
平成27年(2015年)の宅建文京区支部新年会では余興として出演させていただきました。生ライブで有名曲を披露し、会場の皆様も曲に合わせて踊って頂き、とても暑い会場になりました。
TUVEは、川崎にあるクラブチッタでの演奏経験もあり、約800人のお客さんを楽しませた事もあります。
大きなステージ経験があるバンドのため、企業様からの依頼も多数頂戴し、夏祭りや納涼会を盛り上げるパフォーマンスも行っています。無料イベントに出演したり、企画ライブに参加したり、様々な会場で演奏しています。
TUVEの名前をどこかで見ましたら、私が演奏していますので是非、観にいらしてください。

『平成最後の正月に思う』

綱島 正寛(南地区1班/株式会社ツナシマ)

平成最後の年末・年始は考える事が多かった。
平成天皇が退位し、象徴の座を皇太子へ移譲し、一時代の終わりを迎えることになった。
この時代の節目に人それぞれの立場で考えるきっかけとなった。ある人は、国民の継承には諸税の負担は大きいが、この継承イベントの経費は膨大ではないかと言う声もちらほら耳にする。いずれにしてもこの時代の変革は天皇と美智子皇后のごく当たり前の対話から始まったのであろうが、後世に至りどんな思いで国民は回顧するのだろうか。

この節目に「年賀状を出す事を終活の一環として終えたいと思います…云々」の年賀状が増えてきた。若い世代は年賀状の存在すら意識の外で、もっぱらフェイスブックだ LINEだと自由気ままにやっている。昭和人類の一人として、時代に沿うべきか慣習を守るべきか悩んだ。そんな事を考えながら今年の年賀状をどんなデザインにすべきか悩みの種だった。パソコンで打ち込み、プリントした味気のない賀状だけは避けたかった。
一言コメントを書き込める空白を設けようと決めた。年々枚数は少なくなってきたが、何十年と一枚一枚あて名を書き、その人に一言添えることをいつまで続けることができるのか、 頭の中でずっと巡っていた。私も“終活の一環として”と言うべき日が近いとの気持ちが大きくなってきた。

一歩街に出て驚いた。かど松も松飾りもましてや日の丸の旗などはどこに行ったのか見当たらない。日本髪を結った和服姿も無ければ、凧あげや羽子板に興ずる子供の姿などどこへ行ってもお目に掛からなかった。走る車もピカピカに光りながら音も無く静かに通り抜けて行く。昭和の正月と言えば、今で言う右翼の宣伝カー並に騒音の塊だった。
“初荷”の小旗をたなびかせ、排気ガスいっぱいのトラックが街中を飛び回っていたあの正月風景はそれなりに活力と希望を感じさせた。何もかも静かでごみ一つ落ちていない整然とした平成の正月は、海外の観光客でなく昭和の男も実は驚いているのだ。

平成は昭和の後始末の時代だったと誰かが言っていた。
いつの間にか昭和の熱気や夢の拡大を抑制しなければならないと、国の力で調整を図った。
その調整が行き過ぎ、会社も個人もすっかり変わってしまった。会社はともかく個人の職場での付き合い方も様変わりした。
昭和の正月、職場は新年会に始まり、上司への年始回り、同僚の顏がきく店を飲み歩いた。平成の正月は無茶飲みする若手社員が闊歩する姿を見かけない。わずか三十年とはいえ、これだけ人も企業も変わってしまった。
次の元号は4月1日に発表すると言う。その名称はともかく、また平成の後始末と言う時代であってはならない。

「防火のつどい」において文京区支部が表彰されました。

11月 9日から11月 15日まで実施された「秋の火災予防運動」の一環として東京消防庁本郷消防署主催の「防火のつどい」が、 11月 15日、文化シヤッター2階 BXホールで開催されました。文京区支部は「火災予防業務協力功労」として表彰されました。当日、支部を代表して出席した小能大介支部長が石井千明「防火のつどい」において文京区支部が表彰されました本郷消防署長から「感謝状」の贈呈を受けました。
文京区支部では、引き続き、安心・安全な街づくりのため、消防署・地域の皆様と連携し、防火・防災に努めていきます。

投稿ページ 「バラ園」

宮本 修二(南地区3班/株式会社ギヤマン 代表取締役)

5月の連休にバラ好きの妻がバラを見に行こうということで、次女と3人で出掛ける事にした。我が家から一番近いであろうバラ園に行くことになったが、出掛ける段になり、日傘だやれサングラスだと一通りバタバタし、いったん家を出たが、娘が忘れ物をしたと家に戻ったりして、やっと出発する事が出来た。いつもながらの見慣れたビル街を歩き、勝手知ったる順天堂病院で「スターバックス」に寄り飲み物を調達した。病院内のエスカレーターで2階に上がり、直結している歩道橋を渡り、それから2、3分ほどで、それほど広くはないが休日なのに人がまばらな、手入れの行き届いた洋庭園に着く。
そこは一面バラが植えられバラ園と化している。我々3人はそれを見渡せるところに在るあずまや風 に作られたベンチに陣取った。若葉で覆われた枝の屋根が程よく初夏の日差しをさえぎり、5月の風が心地よく通り過ぎていく。
そんな中で買ってきた400KCalもある「抹茶ラテ」(正確な名前不明)をストローでのんびりと飲みながら他愛もないことを話しつつ、バラを見ていたが、3分の2くらい飲み終えたころには、妻と娘が2人で話だし、私を相手にしなくなっていたので、スマホでバラのベストショットを撮ろうと思い、一人で水道公園を散策した。一つひとつ見ていくといろいろな種類があり、また色も様々でつい写真を撮るのに夢中になってしまう。バラの植え込みの中心に行くと、今まで気づかなかったバラの甘い香りが漂っていて、それがとても気持ち良く気分を落ち着かせてくれた。そのバラ園の隣には小さな池がありアヤメが咲いている。こんなにいい所が15分ほどで着いてしまう。ここまでの道のりで一番時間が掛かったのはスターバックスの待ち時間かもしれない。
そういえばこの2週間ほど前、夫婦で根津神社のツツジを見に行った。ここも家からそれほど遠くなく、本郷通りのイチョウ並木を右手に東大を見ながら行くのもいいが、その時は東大の構内を通り抜け、煉瓦作りの建物の間を通って行った。良い散歩道である。のんびり歩いても30分掛からず着いてしまう。以前はそれほど強くは感じてはいなかったが、最近身近に名所や憩いの場がいかに多いかを感じている。流石江戸の町、文京区である。

私は海派?PARTⅡ

山口巖
(北地区3班/山口建設株式会社 代表取締役)

前回、ヨットやボートフィッシングなど、私はやっぱり、「海が好き」というエッセイを書かせていただきましたが、今回は引き続き、海に関する別の趣味の事を紹介したいと思います。実は、我が家には海があるのです、と言うと大袈裟なのですが、我が家には、海水魚の泳ぐ水槽があります。水族館めぐりとマリンアクアリウム、これがもう一つの海趣味です。最近は各地に素敵な水族館が出来ていて、旅行の途中でも時間を見つけて、寄るのが楽しみになっています。すでに、国内、海外をふくめて、相当多くの水族館を訪れています。最近の水族館はそれぞれに、展示の工夫が進んでいて感心させられます。また、飼育技術の進歩により海から遠い街の真ん中にも水族館が出来ているのも嬉しいことです。
さて、我が家のアクアリウムですが、10代の頃からですから、もう50年位になります。かつては、「熱帯魚の飼育が趣味」なんて言うとネクラ人間の代表みたいに思われていた時代もありましたが、今ではテレビドラマなどでもファッョナブルな部屋のアイテムとして時々、登場しますし、高級分譲マンションのショールームなどにも置かれたりと、すっかり市民権を得た状況になっています。
私の場合は、実は飼育が先ではなくて、海に行ったときに、偶然、出会ったサンゴ礁の魚に魅せられて採集した魚を何とか家でも眺めていたいというのが、スタートでした。関東近辺でも夏になると黒潮に運ばれてきた季節来遊魚(かつては水温が下がる冬になると死んでしまうため死滅回遊魚と言われていました)が結構、採集できるのです。
今日も又、家でくつろぎながら、この小さな海を眺めていると、とても癒されます。